そらごよみ
Prelude.
今日も一日が終わる。
窓から差し込んでくる、店内を橙色に染める光を眺めながら、エプロン姿の少女は、ひとつだけため息をついた。
ここは、商店街の大通りから少しだけ外れたところにある、小さな喫茶店。名前を「岬の小屋」という。彼女の祖父がはじめたこの店は、時代に合わせて幾度となく改装や模様替えも重ねてきたが、当時から設計されていたレトロな雰囲気と相まって、気安くて居心地のよい空間を作り出している。そんなお洒落なこの店が大好きな彼女は、今は父親がマスターを勤めるこの喫茶店のお手伝いを自分から進んでやっている。
その甲斐あってか、彼女は、若年層の――つまり、彼女と同世代の客を引き込むことに成功していて、このあたりで名の知れた看板娘になっていた。
彼女は、カウンター席に腰掛けて、ゆっくりと店内を見回した。
こじんまりとした店内は、窓を通り抜けて自己主張する夕陽で明るく照らされている。カウンター席に程近いテーブル席では、少年二人が難しい顔で問題集とにらめっこをしている。一方は少し長めの髪で、前髪をヘアピンで留めている、落ち着いた風貌の少年。もう一方はウェーブの掛かった茶髪が特徴的な、活発そうな少年。
彼らは、彼女が通っている高校のクラスメイトだ。幼稚園のころからの仲良し三人組で、近くの商店街でも有名だった。
「早紀(さき)、ちょっと」
突然話しかけられて、早紀、と呼ばれたエプロン姿の少女は、はっと我にかえった。
「ん、なにかな?」
「お腹空いてきたんだけど、なにか出来る?」
「そうだね......。じゃぁ、直人(なおと)には、ハバネロでケーキを作ってあげるよ?」
直人と呼ばれた長髪の少年は、思わず口に含んだコーヒーを噴きだしそうになった。
「頼むからやめてくれ」
「えー」
「えーじゃない」
そんな残念そうな顔をしてもだめだ、と一向に譲らない直人。
「じゃぁ、そろそろ休憩する?」
そう言いながら、茶髪の少年は問題集を鞄に詰め込みはじめた。
「って、片付けるの早くないか、涼平(りょうへい)?」
茶髪の少年の手早い収納術を見て、直人が呆れた顔をする。しかし、涼平と呼ばれた茶髪の少年は、ちちっと指を振ってそれに応えた。
「時間とおいしいものは、待ってくれないものなんだよ」
そんな彼らの様子を見て、早紀はくすくす笑ってしまう。
「わかったわ、なんか用意するから待っててね」
そう言い残して早紀はカウンターへと戻ると、女性と談笑している実の父親に声をかけた。
「マスター、何か適当に二人前ー」
何もかも適当なオーダーに、カウンターの男女は会話を止めると、顔を見合わせて苦笑した。
「はいはい。ちょっと待ってなさい」
今日は何がいいかなぁ、と呟きながら、カウンターの奥の厨房へと引っ込むマスター。その後姿を見送っていた女性が笑う。
「早紀ちゃんも、もう立派なウェイトレスさんね」
「楓子さんだって、もう立派なカフェのマスターですよ」
この女性の名前は、萩野楓子(はぎのふうこ)という。K文社という出版会社で働いていて、休日や仕事帰りなど暇を見つけてはこの喫茶店に来て、マスターからコーヒーの知識から淹れ方、作法までいろいろなことを勉強している。彼女の淹れたコーヒーは、飲む人一人ひとりの好みに合わせているかのように、とても優しい味がする。さらに彼女は、ほどよい暖かさを出すための非常に微妙な調節さえも、いとも容易くやってのける。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
楓子はありがとう、とにこやかに微笑んだ。早紀は、その笑顔だけで、楓子の入れるコーヒーがどうしてあんなに優しい味になるのかが分かるような気がした。
「じゃぁ、可愛いマスターさんのコーヒーを一杯もらおうかな」
突然、奥のテーブル席から女性の声があがる。
「はい、ちょっと待っててくださいね」
そう言って律儀にカウンターの中に入って支度をはじめる楓子。普段マスターがカウンター席に人を入れることはない。早紀でさえカウンター内のコーヒー器具を触らせてもらえないのだ。マスターが器具を自由に使っていいと許しているのは、今現在手馴れた手つきでコーヒーを淹れている楓子と、楓子と同じく暇な時にはコーヒーの淹れ方を習っている直人の二人だけだ。そんな破格の待遇を受けている楓子を早紀は羨ましく思いながら、冷蔵庫の中に保存していた小さな小さなケーキをお盆に載せ、さらに出来上がったコーヒーも載せて、店の一番奥のテーブル席まで運んだ。
「はい、おまちどうさま」
「お待ちしておりました」
あくまでクールに、しかし声には明らかに嬉しさを載せて目の前の女性がいう。
女性といっても実際の年齢は早紀と変わらない。彼女も早紀と同じクラスメイトだ。しかし、その落ち着いたというか――悟ったような物腰とクールな口調、鋭い瞳と印象的な深青の短い髪が彼女の年齢をいくつも多く見せている。だからといって老けている、といった感じではなくて、とても似合っているのだ。
彼女の名前は早岐司(はいきつかさ)。彼女は昔からの常連で、店内の一番奥に位置するこのテーブルは、司の特等席である。
司は手に持つ夕刊を広げながら、楓子の淹れたコーヒーに手を伸ばした。ふと、横から夕刊を覗き込んだ早紀の目が、ユニークな見出しを捕らえた。
「『餅搗(つ)きウサギは存在できるか』、かぁ。コレって、連載?」
司は頷いて、新聞をテーブルの上に広げた。
「うん。まだ理論レベルなんだけれども、高い確率で実際に造りだすことが出来るって言う、サイエンス系の連載だね。その中でも、倫理的な問題とか、いろんな視点で書かれていて面白いよ」
「へぇ、面白そうだね。他に司が気になった記事とかないの?」
そう訊ねる早紀に、司は、
「ん」
と短く、端のほうに小さく載っている記事を指差して見せる。早紀はショートカットの前髪を押さえながら、記事を覗き込んだ。
「どれどれ......、陸上警備隊員が運転する車が崖沿いのカーブを曲がりきれなくて転落死? 助手席に乗っていた十六歳の女子高校生も死亡、かぁ」
「あ。それ、お昼ごろにラジオで聞きましたよ」
カウンターの楓子が振り向いた。
「よほどスピードを出していたのかもしれませんね。でも、警備隊員と女子高生って、ちょっと不思議な組み合わせですよね? 親戚だったとか、そういった関係だったんでしょうか」
「うん、なんか、引っかかるんだ」
楓子の指摘に司が同意する。
「んー......、それなら、あれだよ」
しばらく何かを考えていた早紀が口を開いた。
「あれって?」
「付き合ってたんだ! 間違いないよ!」
早紀が真面目な顔で言い切った。ふふ、と笑う楓子と、呆(あき)れた顔の司。
「早紀、あのさ。隊員のほう、四十一歳だったんだけど」
「愛に年の差なんか関係ないんだよ!」
あくまで真面目に言い切る早紀に、司は肩を竦(すく)めた。
なによ、可能性がないとは言い切れないじゃん、と早紀はぶつぶつと繰り返していたが、
「早紀ィ、ご飯はまだかなー?」
涼平の呼ぶ声で我に帰ると、仕方ないなぁ、とひとつ諦めたようにため息をついて、
「ちょっとぐらい待ちなさい!」
そう言い捨てて、キッチンの奥へと入っていった。
今日も、いつもと変わらない一日が終わる。
暮れ泥(なず)む秋の夕陽色に染まった店内に、食欲をそそる香ばしいピザの香りが漂いはじめた。




